私達には守りたい芋があります。

2020年、コロナパンデミック。
芋処、鹿児島はもう一つ大きな問題に直面しておりました。
サツマイモの伝染病により、産地崩壊の危機に直面していたのです。
その代表品種が「コガネセンガン」。
この芋は、県外の方々には見慣れないでしょう。
鹿児島県付近でしか栽培されていない超ローカルな芋です。
誰もがイメージするサツマイモとは違い、皮は白くゴツゴツしていて
「変わり種の芋なんだ。」と、初めて見た方は思われるでしょう。

しかし、この芋こそが半世紀以上日本で一番栽培されてきたサツマイモなのです。
これほど長い期間、大量に栽培されていた日本農産物はヤブキタ茶と男爵芋以外ないそうです。
鹿児島県が長らく日本一の芋処であれたのは、コガネセンガンを栽培していたからなのです。

コガネセンガン存続の危機は、私達のような芋関係者に計り知れない衝撃を与えました。鹿児島の食文化を根底から覆すような事件だったのです。

コガネセンガンという芋

コガネセンガンは1966年に品種登録させれたサツマイモです。
坂井健吉研究チームによって開発されました。

当時、九州の芋畑では農林2号というサツマイモが作られていました。
それは1942年、ミッドウェー海戦の年に品種登録された国内で作られた初期の品種です。
農林2号は戦中戦後の食糧難を支え、アルコール燃料などの原料になり
貧しい日本を支えてきました。
戦後復興の中で、サツマイモに求められた役割は澱粉産業の原料でした。
国、芋農家、澱粉工場は、一体になって地域の復興を掲げてきたのです。
そのため、誰もが高品質で多量に取れるデンプンの原料芋を求めていました。
しかし30年以上、農林2号を超える品種は誰も作れなかったのです。

坂井健吉チームが掲げたのは、名品種「農林2号」を超える品種作りです。
彼らは、これまでの品種育成法とは全く違う手法で、新たな品種作りに取り組みました。
そして生まれたのがコガネセンガンです。
コガネセンガンは、初めは純粋に澱粉産業向けの芋として誕生したのです。

鹿児島をお芋の王国に変えた芋

鹿児島県は、長く日本最大の芋処であり続けました。他の地域にはない芋加工業があるからです。コガネセンガン最大の功績は、鹿児島の芋加工業を築き上げた事だと言われています。原料芋として鹿児島の食文化そのものを作り出してきたのです。

デンプン産業を十年延命させ、現代の基盤を作った。

コガネセンガンは、元来、デンプン用の品種として誕生しました。それ以前は、農林2号という品種がデンプン用の芋で、それを超えるデンプン含有量を持つ芋がコガネセンガンの開発テーマだったようです。そして収穫量、デンプン歩留、共にコガネセンガンは農林2号を超え、デンプン産業に定着していきました。

特にデンプン歩留は、農林2号に比べると5%ほど上昇。その経済効果は大きく、九州全体のデンプン工場で年間50億円(2022年の時価換算)ほどの純利益を生み出しました。

 農産物輸入自由化により、関東のデンプン工場がバタバタと閉鎖していく中で、コガネセンガンのおかげで九州のデンプン工場は10年延命したと言われています。

 現在、デンプン原料はトウモロコシ等に代わり、コガネセンガンは余り使われなくなったようですが、鹿児島のデンプン工場の基盤作りにコガネセンガンは大きく貢献したと言われています。

焼酎王国「鹿児島」を築き上げた芋

1970年代に起きた焼酎ブーム。

 それ以前の鹿児島の芋焼酎は、日本の隅っこの地酒の地位に甘んじていました。その当時の原料芋は、赤芋でも白芋でも芋であれば何でも良いという状況で作られていたようです。

 しかし、芋焼酎品質向上のためには原料に拘らなければならない。と、芋焼酎業界が立ち上がり芋焼酎に一番良いサツマイモを選定していきました。結果、選んだ品種がコガネセンガンだったのです。

 それは焼酎ブームにも乗り、全国の飲み手にコガネセンガンの芋焼酎は受け入れられていきます。これにより、飲み手と作り手の間で、「芋焼酎の基本はこれだ!」と、芋焼酎の味、香りが決定付けられました。

現在では、紫芋の焼酎など、さまざまなサツマイモの品種で芋焼酎は作られていますが、それもコガネセンガンがあっての事だ。と、作り手たちは語ります。コガネセンガンの味や香りに対して、この芋 の味や香りがある。そんな風に、芋焼酎に品質の指標が出来たと言うのです。つまり芋焼酎は、コガネセンガンという味と香りのスタンダードをもったおかげで、鹿児島地酒の地位から、芋焼酎文化という地位まで昇華されていったのです。

 現在、鹿児島の焼酎蔵数は日本一多く、100以上。全国の焼酎蔵の2割は鹿児島にあります。その蔵元のほとんどが、自社代表銘柄をコガネセンガンで作っています。

数々の銘菓を生み出した芋

1980年代から2000年代にかけて、コガネセンガンは芋菓子の原料としても選ばれていきます。

その代表が芋ケンピ。その多くはコガネセンガンを原料に作られています。

また、1990年代後半から、様々なスイートポテトの原料としても使われてきました。ベイクドスイートポテト。レアスイートポテトなど・・。

鹿児島の銘菓と呼ばれる芋菓子は、ほとんどコガネセンガンを原料にしています。

このようにコガネセンガンの多くは、原料芋として使用されています。生芋で流通することはほとんどありません。コガネセンガンの全収穫量の50%は芋焼酎で使用され、35%ほどが芋デンプンの原料になり、10%ほどが製菓原料となり、5%少々が県内だけで生芋として流通しています。鹿児島名産の黒豚も、コガネセンガンの皮を餌にして育っています。

たった一品種の農作物が、さまざまな加工業を繋ぎ、鹿児島独特の食文化を形成してきました。コガネセンガンは鹿児島食文化のど真ん中にある食材なのです。

コガネセンガンの危機を前に

コガネセンガンを襲う伝染病は、ある日、突然始まりました。海外か、どこからか紛れて入ってきたのだろうと言われています。この菌の最大の特徴は、芋の残渣に潜んで冬越しする事です。芋畑は、収穫後芋の茎や根、葉っぱなどが残り、土の中に広がった根っこ等々を全て取り除くというのは、不可能に近い話です。今までは、薬品の力で各農家は土壌消毒を行ってきたらしいのですが、完全消毒すると土壌は無菌状態に近くなります。しかし残渣に残っていた菌までは死滅しておらず、無菌状態の培養地に近い環境で菌は爆発的に増えていくというようなのです。そのため、連作障害として考えられるようになりました。

鹿児島の農業は連作が基本になっています。そして、就農年齢人口のほとんどが70代の人々です。今までのやり方を変えるのなら離農したいと考える人も多いのです。そのため、鹿児島の芋業界は、コガネセンガンに変わる新しい品種開発が急務になっていきました。

私達に突き付けられた課題は、芋を変えて今まで通りやるか?芋を変えずやり方を変えるか?という究極の選択でした。

 そういった中で、私達はコガネセンガンを守るために、自分達を変えていく事を選びました。今までコガネセンガンにお世話になってきたからこそ、今度は自分達がコガネセンガンに恩返ししたいのです。

コガネセンガンを守る小さな農業

県の専門家から教わった菌への対策は、「菌を持ち込まない、増やさない、残さない」の三つの要素でした。それは、私達にとっては非常に分かりやすいものでした。食品工場の考え方そのものでHACCPなどの衛生対策を、そのままハメこめば、すんなりと実行できました。畑を食品工場と何もかも同じ考え方で捉えられればコントロール可能な気がしました。しかし、全く理解できない物が土でした。

工場は人が全てをコントロール出来るように作った場所です。無菌であればあるほど衛生環境は良く、生き物が工場の中に入らなければ入らないほど衛生環境は保てます。土は工場の中に絶対入れてはならない物として私達は教わってきました。工場にとって土とは不衛生な物の象徴でした。

土を工場と同じ概念で捉えようとすれば、農薬で全ての微生物を完全殺菌して人間に都合の良い菌だけを散布すれば良いという考え方になっていきます。それはもう、農業ではなく工業です。食品工場の考え方で農業を捉えてはいけない気がしてまいりました。

そこで、私達は伝統的な農業に土作りを学ぼうと思いました。地元の有機農業家にさまざまな事を学びながら、私達がイメージ出来たのは中世ヨーロッパで行われていた三圃制の農業です。畑を三分割に分けて、秋・春耕地、春耕地、休耕地に区分しています。同一耕地で一年目に小麦→芋(コガネセンガン)→落花生→休耕地と、3年周期の輪作を実施しています。このような取り組みは、私達のような小さな会社でしか出来ない取り組みです。自分達の農業を「小さな農業」と名付けてました。大規模では出来ない物を小さくても豊かな物をお客様に提供出来ればと取り組んでおります。

コガネセンガン感謝の石碑を建立

コロナで銀座シックスを撤退し、芋畑に戻った時に私達はコガネセンガン存続の危機に出会いました。それは食とは何か?産地の役割とは何なのか?という大きな問いかけに変わりました。私達の本当の菓子作りは、ここから始まりました。

現在、コガネセンガンは私共の取り組みの象徴となっています。コガネセンガンを守り、その魅力を表現し続ける事。

こういった想いを刻むため、私達はNPOカラー芋ワールドセンターと共同で、コガネセンガン感謝の石碑を当工房の前に建立いたしました。建立式典にはコガネセンガン生みの親「坂井健吉」先生を招きました。ここから、多くの方々にコガネセンガンの価値と美味しさをお届け出来ればと願っております。

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